|
イジメ、自殺について(関東の人たち)
|
■親の手抜きでは・・・
関東の友人より
先生!少しずれますが、他の題目も含め、この一連の「いじめ」や親の未熟、他この関連で、自分は次のように思う事があるのです。「三つ子の魂、百まで」この言葉は、教育の原点を指して居るように思えます。(この投稿を続ける前に、決していじめを肯定することではない事、但し書きとして書いておきます。そして一般論として・・・・・。)では本題です。
いじめる側、いじめられる側どちらにも責任はあると思います。と言うより、共に幼児期の初期段階で、親の対応がまずかったのではないでしょうか?親(大人)の言うことを聴く。親(大人)は偉い。そのように教え込む教育これが原点だと思うのです。ここから全てが始まるのではないでしょうか?今の時代妙に、友達化した親が理想的の様に言われてます。嫌われるのが嫌で、何でもYesYesYesの親が多いと思いませんか?
親は、理解有る友達でも、ご機嫌取りの御用聞きでも無くて良いと思いませんか?
この部分を怠った(勘違いした)家庭が、他人を平気で傷つけたり、自分を傷つけたりする子供にしてしまうのではないしょうか?
世間で良く出会う光景に、○○ちゃん今日は何が食べたい?今日はどんな服着る?何処に行く?今日は帰る?稽古して行く?こんな生活を事ある毎にさせている親を多く見受けます。一見、理解が有り、「子供の意思尊重」等と言いながら・・・・・・本当に意思尊重等といえるのでしょうか?意思の尊重は、高校や大学に行った時、少しづつ開放して行けばよいと思います。小さい子供に決定権を与えるのは反対です。これは、ある意味、親の手抜きです。一つ一つ親があれこれと考える必要が無いから楽です。文句を言えば、「自分で決めたことでしょ!」と一喝できます。子供に結論出させて楽しているのではないでしょうか?例えば、季節、気温、天気予報、体調、場面を考え親の決めた服を着せる。そして中には、親が決めたものだと、不平不満を言う子供も居ますよね。そこで親が子供を言い聞かせる、なだめる、さもなければ、時には強制的に親の権限で決めつける。こんなコミニケーションが大事だと思います。一例ですが、一つ一つの事に手間をかける!ことが大事なのだと思います。
そうでなければ、子供は、親(他人)は、子供(自分)の言うことならなんでもきく。言いなりになる。「地球の真ん中に自分が居る」そんなことを植えつけているだけです。自分達の時代は父親が絶対で、飯のおかず、TVチャンネル、風呂、等の優先権は、子供に有りませんでした。だから、たまに、「おかず何が良い?お前の好きな物にしてやる」なんて言葉を親から言われると嬉しかったです。でも今の子供の環境は逆です。こんな子供達が、
自分の思い通りにならない!=切れて暴力をふるう
自分の嫌なことに直面!=関単に自分を「殺す」
自分の嫌なタイプの人間に遭遇!=簡単に他人を「殺す」
このように関連してゆくのではないでしょうか?極論過ぎるかもしれませんが、一番の根底に根付く部分だと思います。この荒れた世の中で、子供を可愛がる(守る)事は必要ですが、自分の欲望を満たすためのペット的可愛がり=「無責任な過保護」ではなく、いずれ子供が自立し一人で生きてゆけるように導く「責任ある過保護」でなければ、荒れる一方だと思います。 |
|
|
|
|
|
| |
| NPO法人日本教育空手協会 Japan Educate Karate Association 統括師範小野寺脩(あごひげ館長) |
| Copyright (C) 2006 AgohigeKancho, All rights reserved. |