NPO法人
日本教育空手協会
Japan Education Karate
氣が出る言葉集 〜私が元氣を出した言葉〜

  氣が出る言葉集
 〜目次〜
  1. あごひげの氣!
  2. 先輩、先生の氣!
  3. 先人の氣!
  4. 人間万事塞翁が馬
  5. 萬理一條鐵
  6. 天上天下唯我独尊
  7. 虎穴に入らずんば虎児を得ず
  8. 日月マークより
  9. 指導者の条件より
  10. 坂爪捷兵HPより
  11. 挑戦と継続

●皆さんからも元氣になった言葉を教えてください!⇒kancho@syuku.com

■あごひげの氣!   byあごひげ
こう思う! byあごひげ

宇宙にはきっと、燃えたぎる信念が潜在意識に浸透し、磁石となって現実を引き寄せる偉大な法則があるのだろう。思いを強く描き続けていると実現する方向に様々な出来事があいついで起こる。自分は強運だといつも思い信ずる。すると、グッドタイミングで丁度いい時期にめぐり合う人、人、人。単なる偶然ではない。だから不思議である。チャンスに恵まれたときはさらに氣力を集中しここぞの馬鹿力、最大限の行動力を発揮するがよい。必死になり必ずや勝ち取ろうと努力する、これを継続し積み重ねる。 ついには長く続けて強く信じていた大きな目標を、思い描いた通りに実現することができる。 宇宙にはそういう原理原則がきっとあるのだと信じている。
◆この信念は中村天風師の影響です。(合宿を含めて何度も栃木県に通った)合氣道十段の藤平光一先生も師事し、あの松下幸之助も心酔した天風師は『心は体を動かす』と説いた。


上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


■先輩、先生、知人、識者

  • 私の好きな言葉です →『成功する人は敵の少ない人ではない。味方の多い人だ。』 先生は充分成功者ですね。私も追いつけ−・私も先生の味方・
    H19.2 太極拳の新しい弟子
    こう思う! byあごひげ

    どんなに有名で立派な人よりも身近にいる先輩、友人の言葉こそが重く大きくのしかかるものだと思う。こちらの表情なり、声のトーンなりで判断しその時最高の言葉を投げかけてくれることがある。氣持ちがあって伝えようとしているから時には胸の奥深くに染み入る言葉となる。言葉は生き物である。生き物だからこそ強い生命力をもって我が魂を揺り動かし永遠の新鮮なエネルギーを供給してくれている。人の振り見て我が振り直せではなく、『人の振り見て我が振りもそのようにあれ!』である。
    ◆今この年になり・・
    何かあると『先輩はどう言ってくれるかな・・』という思いがある。厳しく指導してくれた先輩たち。当時はそんなに好きではなかった・・がとにかく付いていった先輩たち。けどいつまで経っても先輩は先輩で、そして先輩もまたそんな後輩を(今は昔と違った視点から)よく見ていてくれる。辛いとき、苦しいときにいただいた先輩からの電話、一声があるから空手人生最大の風雪期?を乗り越えられた。第一回JEK全国大会の開催はそんな思いの汗と涙と先輩たちの思いやり・励ましの込められた感無量の大会であった。ありがとう、日本一素晴らしいオラの先輩たち!



    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


  • ■先人の知恵、諺、故事
    こう思う byあごひげ

    強い願望とは、繰り返し考えかつ信念を曲げないということだろう。そして成功をおさめる人は、強い願望と同時に、美しく明るい曇りない純粋な心を持ち突き進む人のことを言うのだと思う。宇宙には願望と言うエネルギーによってあらゆるものを生成発展させる力があり、それにかなった考え方や生き方をすれば必ずうまくいくという摂理(法則)があるということだ。
    ◆皆さんも感じた、受け取った、力になった言葉とか文章とか、あるいはテレビを見ていてスポーツ選手のコメントだったり・・といろいろあると思います。そのとき感じるものってこれは生涯のすごいエネルギーですよね。感じたものあったときは私にも分けてください!


    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)



    故事、諺に学べ!


    ■人間万事塞翁が馬

     中国の故事、千二百年代。国境の塞(とりで)に住む翁(老人=父親)の話し。

    あごひげ

     大事にしている父親の馬が逃げたというので近所の人がお見舞いにやってきたが、父親は『この災難はきっと福を呼ぶだろうよ』と言った。暫くすると何と、逃げた馬がたくさんの駿馬(しゅんめ=見事な馬)を引き連れて戻ってきたので今度は近所の人がお祝いにやってきたが、父親は『なに、この幸福が災難を呼ぶかもしれない』と言った。そのうち乗馬を楽しんでいた息子が落馬して足の骨を折った。人々がお見舞いを言うと父親は、『なに、この災難は次の幸福を生むだろう』。やがて戦(いくさ)が始まり多くの若者が兵に借り出されてほとんどが戦死をする中で、足の骨を折った我が息子は兵役を免れて生命を全うした、、、。

    ・人間(じんかん=世間) 長い人生では、人の周囲に何がどのように展開されるか分からない。禍福というのは予測できない。世間(人間)はとかく(万事)そういうものだ(塞翁が馬)。

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


    ■萬里一條鐵(万里一條鉄)

     ばんりいちじょうのてつ 果てしなく続いてきた、これからも続く世の中にあって、決して変わらないもの、変えてはいけないものがある。
    万里にわたって続いている一本の鉄。万物の諸相、時々刻々に現れる姿は様々に変わるが、その実相は変わることなく過去・現在・未来を貫いて一本のすじのように連なっている。(仏教)

    あごひげ

    決めたことは途中に投げ出すことなく、真っ直ぐ、真っ正直に一つ道を追求することで己の生涯を貫く、初志(心)貫徹ということだろうか。常に自分自身を省みて我が道が果たして『本道』であるかどうかを自問しつつも、しかし最後まで夢は果てしなく一本の黒々とした鉄の棒のように持ち続けたい。『夢一條鐵』とでも言いたい。天地空間にあるこの我が道、大道を、潜在意識として深く根を張り変わるまで継続実行していきたいものである。

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


    ■天上天下唯我独尊

    あごひげ

    あるテレビ番組で、『唯我独尊』は『俺が一番』という意味だ、と誰かが言ってました。しかし、私が和尚さんによる座禅会を通して聞いた話は違います。お釈迦様は4月8日に生まれてすぐに七歩を歩いて天に向けて右の人差し指(左は地)を指し、天上天下唯我独尊!! と言いました。その意味は、『生まれてきた私一人はこの大宇宙の中でもたった一人の私であり掛け替えのない命である』、というような内容でした。一人一人がみんな違う、みんなが唯我独尊であり、尊い存在、尊い命だからお互いの違いを認め合う思いやりの心が必要・・・そのようなことを和尚さんが言っていました。今日この現代社会に忘れ去った言葉がここにあるように思います。それぞれが自分を中心に自己主張し達成のためには氣に食わないものは平氣でつぶそうとしたり妨害、しいては殺害にいたる・・・なんともまあ、お釈迦様は、うぬぼれるな、他を見ろ、思いやりの心を持て!! と、もう生まれた時点で今日を憂い現代の私たちにも示していたのかもしれません。

    浄音寺 住職より
    ※和尚さん(曹洞宗)にメールを送ったところ以下のように返信がありました。 ↓
    はい。館長さんの考えの通りです。文字だけの表を見て、一人よがりの人だなんて理解する方がいるのは確かです。ただ公の場でそんなふうに発言されるのは困りますね。スミレやタンポポはそれですばらしいし、蘭やカトレアもすばらしい。私たち人間が勝手に価値を付けているんだなあ。金子みすずさんが、みんな違って皆いい、ということを詩に書いています。すばらしい。また こんど
    関東の友人まっちゃん
    極特別な信仰心は無いのですが、我家も曹洞宗の檀家。また、偶然にも息子達の通っている(通った)高校も曹洞宗。ですから、「唯我独尊」は耳にたこ、などと言うと罰があたりますが、よく耳にしている言葉です。プロ(和尚様)も言われているので重ね書きも失礼かとは思いますが、自分も同様に聴いております。現代風に言えば、SMAPの「世界にひとつだけの花」とでも言いましょうか?他人を敬い、自分を大切に。そんな思いが込められた言葉と聴いております。

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


    ■『虎穴に入らずんば虎児を得ず』
     
    「危険を冒さなければ功名は立てられない」の意

    あごひげ   親たちへ!

    子供の前に立ちふさがるのは、言わば子供にとっては『人生の大きな損失』です。どんな一歩でも人は先の見えない入り口ではたじろぐかな。でもね、そこは親の勝手な想像範囲ではなく『やらせて見よう』、『参加させて見よう』という大人としての判断が大切ではないでしょうか。行事にも大会にもぜんぜん出ない人がいます。いちいち子供の渡る石橋を、本人ではなく親のほうで子供の陰から恐る恐る手を出し、まだ危ない、まだダメだーって決め付けている家庭があります。家庭的経済的に恵まれていない場合、これは別。しかし、親がいつも先生よりも上にいて(プライド、ジェラシー?)いちいち屁理屈を並べて検分している場合もあります・・。やらなければ何も見えないし、何も得られません。たとえ親のあなたでも、子供の無限大の可能性を妨げるような考えは慎むべし!!
    やらせて見て、失敗して、恥をかいていいじゃない。本人が自分の力で自分を見つめて感じさせて・・こその成長発育、と捉えてやることこそが子育ての重要なカギです。

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)



    氣概はここから!


    ■日本空手協会の日月マーク説明文より。

     空手道の「空手」は、元来東洋哲学の柱とも言うべき 禅の言葉からとったものです。空は「宇宙」、禅の言葉で言えば己を空しくする、すなわち無の境地を開くものです。無とはあらゆる欲望を断ち、立派な人間性、「他人に迷惑をかけず、強気を恐れず、権勢にこびず、財宝に目をくらませず、堂々と人生を生き抜く」」ための修錬を積むことが空手道の真の目的と言えます。 (以下省略、このページは武道と空手にあります)

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


    ■松下幸之助「指導者の条件」より。
     
     堀秀政は、信長、秀吉につかえ、文武に秀で世間から“名人佐衛門”と呼ばれた人であった。その秀政の城下に、ある時、秀政の治政の悪い点を三十二、三カ条書き並べた大札をたてたものがあった。そこで重臣達が相談の上、秀政にそれを見せ、「こんな事をしたものは必ず召捕って、仕置きしましょう」と言った。すると秀政は、その内容をつくづく見ていたが、何を思ったか、立って袴をはいて正装し、手と口をすすぎ、その大札をおしいただいた。そして、「こんな諫言をしてくれるものはめったにいない。だからこれを天が与えたもうたものと考え、当家の家宝としよう」といって、立派な袋に入れ、箱におさめた。そしてそれとともに、役人達を集めその一条一条を検討し、藩政について改めるべきところは全部改めたという。(中略)徳川家康は、主君に対する諫言は一番槍よりも値打ちがあると言っている。一番槍は昔の武将にとって最高の名誉とされたが、それ以上の価値があるというわけである。言い換えれば諫言というものは、それほど貴重でかつ難しいものだということになる。

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


    ■坂爪捷兵 ホームページより。

     多くの日本人は武士道に対する考え方を「忠義」と考え、絶対的服従と捉えている。だが、武士道を必ずしも忠義であると捉えるのは大変な誤解だ。本書で見落としてはならない文言に「主君の御心入れ直し、御国家を固め申すが大忠節」とある。すなわち、上司の命令が納得のいかない場合は、どこまでも訴えるべきである。武士道にとって忠義は基本中の基本だが、高いレベルの武士は、時には主君の命令を踏み潰し、捻じ曲がった心を立て直し、そして御国家の為に主張する、これが武士の真の役割である。私の身近な経営者に絶対的に部下の忠告を受け入れない人がいる。自分に逆らう人は辞めてもらう主義だ。結果は全ての社員がイエスマンの集団となり、競争心を失って衰退してしまった。たとえ上司の命令であっても、疑問をもてば決して屈しない、そんな忠言・諫言のできる社員をどれだけ多く抱えているかによって企業の繁栄が決まると思う。立派な経営者は、自分の考え方(命令)に反逆的行為があってもそれを恨みには思わない。上司の度量と見識があいまって最強の組織ができると思う。

    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)


    ☆特別寄稿!

    挑戦と継続!


    ■東京、むさし先輩より新年にいただきました!

    挑戦と継続
    平成19年1月5日

     スポーツ、武道において、大切なものは勇気・希望・忍耐であると思われる。厳しい苦しい稽古のなかへ飛び込んでゆく強い勇気、黒帯をとりたい・試合で勝ちたいという大きな希望、その希望を達成するため厳しい稽古を耐え続けてゆく忍耐力である。学校を卒業し、企業戦士になると空手部時代のこころは残っており、いろいろなストレスに耐え抜いて勝(克)ち抜いてきました。しかし空手の稽古が出来ない体のほうは気が付いたとき(56歳)には見事に衰えており、33年ぶりに総本部に入ったときには5分も稽古を続けることが出来ない体になっておりました。毎週の厳しい稽古を耐えるため、家に帰ってからも教えて頂いた突き、蹴りを50回100回と繰り返しました。しばらくすると腰、膝、肘がおかしくなってきて稽古をするのも不自由な体になってしまい、しばらく稽古を休み、また挑戦すると骨折してしまうという様な日々を2年程続けました。学生時代は厳しい稽古をすればするほど目に見えて上達しました、その心さえあれば再び空手も出来ると思って挑戦した空手は若者のやるもので、年寄りには不向きな武道であり、これでは60才になったら出来なくなってしまうと思う様になってきました。
     そんな毎日を過ごしているとき、大坂先生が50才以上の壮年部を作ってくれました。日々の稽古では準備運動ではスワイショウや太極拳からとった体操をやったり、稽古中、年寄りは頑固だからな、力をいれなくてよい、ゆっくり正確に等々、平安初段をやるときも1回はゆっくり形を整える練習をしたり、年寄り用の指導をして頂いております。そのような稽古をしているときに気が付いたことは、空手が出来る体を作るのが空手の稽古であるということです。家に帰って、突き・蹴りを人一倍やっても、故障してしまっては稽古ではないということ、空手が出来る体を作るのも空手の稽古であるということです。すなわち、家に帰ってスワイショウ、ストレッチ、腹筋、背筋、腕立てをほどほどに無理なく行って空手の出来る体をつくることも稽古であるということに気づく様になりました。以前は帰ってから時間のあるときに腹筋200回、拳立て100回と挑戦していたのも、気持ちよくできる1日50回として、蹴り、突きも軽く10回、正確に10回という様にしました。家に帰ったら腹筋300回挑戦してやるぞではなく、家に帰って時間があったらテレビでも見ながら一汗かこうという気持ちで継続し空手の稽古が出来る体を作っていくことです。
     継続は力なりといいます。空手の稽古をしている内に、その継続に挑戦することが大切なことであると思う様になってきました。今年は63才を迎えます、挑戦、継続という言葉の内容は若い時と異なりますが、70才になっても空手が出来る勇気、70才になっても空手が出来る希望、70才になっても空手が出来る忍耐を養うため日々挑戦、継続している毎日です。


  • 心の友から(東京、むさし先輩)
    http://www.syuku.com/morikawa/morikawa_main.html
  • 良書の一節(東京、むさし先輩)
    http://www.asahi-net.or.jp/~du1t-mrkw/ryousyo/issetu.htm
    上へ(「氣が出る言葉集」目次に戻る)



    Copyright (C) 2006 JEK, All rights reserved.